他院で入れた不思議なインプラント治療2

 さて昨年末のもう一つの落とし穴の続きです。
壊れたブリッジを外し、割れない設計のブリッジをセットしてメインテナンスやブラッシング指導を行い、異常がなければ半年後に受診という事で終了しました。ほっとしたのもつかの間、2週間程してから
その患者さんから予約がはいりました。私の頭の中には もしかして と思い当たる事があったのですが。当日拝見すると、作り直したブリッジの反対側に埋入されているインプラントの上部構造、いわゆる冠が外れており、手にはティッシュペーパーに包まれた脱離冠を持っていました。
その冠を見ると、まるでお煎餅の様な薄い物で冠というより1枚の板 という感じでした。装着してから1年くらいと言う事ですが、「よく持ったな」というような物です。そうです、予測どうりの出来ごとでした。 その部位は左下なのですが、歯を抜いて何年も放置したままにしたために上の奥歯が4ミリくらい落っこちてしまっているのでもう上の歯は1~2ミリで下の歯茎と接触しそうなままインプラントを埋入し、その上に冠を作ったためお煎餅のような薄い冠になってしまったのでしょう。おそらくまた取れますよとお話して一番強いセメントで合着して帰宅してもらいましたが、根本的な解決にはなっていません。その事については次回に書きます。



明けましておめでとうございます。

皆さん明けまして御おめでとうございます。 
昨年は大変悲しい出来事が日本や地球を遅い沢山の被害がでました。
直接被害にあわれた方々には「お気の毒です。でも頑張ってください。」と言うしかないのですが、
保障問題などの不透明な部分もかなりありますが、「立ち上がれ日本」という活気が濃くなってきたと感じるのは私だけでしょうか。私の医院も震災前より患者さんが増えているようです。
今年の皆さんに沢山の幸せが訪れる事を心から祈っています。


他院さんでの不思議なインプラント治療

 先日他の医院で入れてもらったインプラントの被せものが何回も割れて困っている。根本的な解決をお願いしたいとの事で受診した方がおりました。拝見した所、右下の奥歯3本がなく奥と手前にそれぞれ1本ずつ2本のインプラントが埋入され,その上にブリッジスタイルで3本の上物がセメントで合着されていました。その上物は自分の歯にかぶせる普通のセラミックスの冠で出来ており、焼き直す場合は1000度以上の加熱が必要なので口の中でそれを行う事は出来ません。壊してやり直すしか方法はないのですが、どうも樹脂か何かを張り付けてごまかしていたようなのですが、当然すぐに壊れます。困りました。壊して作り直しです。白い歯をどうしても入れたいのならジルコニアというセラミックでそれも万が一を考えてネジで取り外せる様な設計が一番安全です。歯を作ってまだ2年だそうです。
しかし造り直す以上有料となりますので気の毒なのは患者さんです。でもその方は納得して「よろしくお願いいたします。」と言って医院を後にしました。ただしこのケースにはまだ落とし穴があったのです。

  

不思議で愉快な思い出2

 通勤ラッシュにはちょっと間がある午後3時頃の事です。
こんなに早く帰れるのはめったにないのですが、電車待ちのホーム上でお蕎麦のにおいにつられて
確か一番安いかけそばか何かを食べ終わった頃30~35歳くらいのスーツ姿の男性が僕と入れ替わりに店に入り何かを注文していました。
僕は気にもかけずにやって来た電車に乗り、空いたいすに腰掛けました。
その直後に手に何かを持ったスーツ姿の男性が電車に乗り込んで来ました。
何気にその男性を見るとその人の手に持っているのはなんと蕎麦のどんぶりだったのです。
男性は動じる事もなく左手にどんぶりを、右手に割り箸を持ち「ずるっ ずるっとそばをたぐるとおつゆを最後の一滴まで飲み干しどんぶりを床に置くとかばんからタオルの様な物を出しはしとどんぶりをきれいにふくとかばんにしまい何事もなかった様に上の網棚に置き去られたスポーツ新聞を読みだしました。
僕は目が点になって一瞬放心状態になりましたが当時はやっていたドッキリTVかなと思い、まわりを見まわしましたがそれらしい様子は見当たりませんでした。
この出来事は今でも理解に苦しんでいます。
皆さんこんな経験ありますか、いったい何だったのでしょう?


学生時代のとても不思議で愉快な思い出

高脂血症の私がウォーキングを始めました。
約一時間で7〜8キロは歩きます。もう2カ月になりますが休憩は1日だけで他は皆勤です。
そろそろ採血をしようと考えておりますので同類の方々、乞うご期待を。

今回はインプラントトラブルの続きを書こうと思っていたのですが、突然学生時代のおかしくも不思議な出来事を突然思い出しましたのでその出来事について書きます。

突然思い出したのにもきっかけがあります。10日程前にテレビである女優さん(芸能界の事に疎いので名前は知りません。すいません。)の「不思議な思い出」みたいなインタビュー番組がありその方の思い出というのが僕が経験した事に似ていて、あっ という感じでよみがえってきたのです。
大学時代の私は飯田橋にある日本歯科大学へ秋葉原経由で自宅近くの与野駅から電車通学をしておりました。事件は秋葉原の京浜東北線のホームにある僕もよくお世話になった立ち食いそば屋さんから始まりました。


 

仕事の質が一部変わってきました。

 私がインプラントを埋入し始めてから27年が経ちます。当時は良い位置にインプラントを埋入するかに集中し、せっせとオペを行い、そのうちいかに長持ちさせるかが加わりました。そうする事によって
インプラント埋入後15年間で94パーセントに異常なしという自分の成績を残す事ができました。
ところがここ7~8年他の医院で入れたインプラントのトラブルの解決というのが急増してきました。そしてそのほとんどが基本的な事なのです。たとえば下顎の奥歯に入れたインプラントの位置が舌側に寄り過ぎているため上下の歯列がすれ違ってしまいどうやっても上下の歯が咬まない。インプラントの上部構造(上物)が歯肉にめり込み過ぎて炎症を起こして痛みがあり1年以上も熟睡していない。知覚異常を起こした。上部構造のセラミックが割れてしまい口の中でちょこっと白いものを足してくれるんだけど2~3日でまた割れる。挙げていくときりがありません。いずれももう少し様子をみましょうとかまめに消毒してみましょうと言われたものの1年以上も抜本的な解決がなされず、1年以上つらい思いをしたあげく見切りをつけて私を頼って来た方々です。ほとんどがインプラントを良く知っている歯科医でしたら解決できる事だと思われました。麻痺などの事はこの次に。

インプラント保証は誰が責任取るの?

 ここ半年程、歯科の話題から離れていたのでそろそろ本題の歯科の話に戻したいと思います。
今まで27年インプラントを埋入し続け、もうすぐ7000本に達しようとしています。私は気が小さくて、無理が出来ない性分なので幸いにも事故らしい事故もなく訴訟などというものとも縁がなく現在に至っています。息子が産婦人科医になったため一時、目標を失った事もありましたが幸いにも身うちの中でもうすぐ歯科大を卒業する甥がおり、5年前から大学が休みの時は入江歯科で助手をおこなっています。後継者が見えてきたので今でも「インプラント10年保証」も発行する事ができ、幸いな事だなと考えています。そうです皆さんインプラントの保証という物を始めたのは私が知る限り日本で入江が最初だと思いますが、今では色々な歯科医院がこの事をうたっています。しかし皆さんインプラントのメンテナンスをしに行ったらその歯科医院の院長が高齢のため閉院しました、とか亡くなりましたという事で困っている患者さんもすでにいるのです。さてその保証の責任は誰がとるのでしょうか。
僕には解りません。


台湾旅行記完結編

 いよいよ本来の目的地である北港に向かいました。台湾新幹線の嘉義駅から車で25分くらいの距離にある北港は世界文化遺産にも指定されている「媽祖廟」があり私の父の出身地でもあるため沢山の知人や親族がおります。今回は私のいとこの息子の結婚式が行われ、それに出席するために台湾にきたのです。そう、ゴルフや観光はおまけだったのです。結婚式の前日に北港入りし親族にあいさつ回りをし、「媽祖廟」にお参りをし、その晩は私のいとこの招待で台湾料理のフルコースでした。
台湾の食文化は中国同様必ず食べきれないほどの料理が並びます。私たち大人グループは翌日の結婚披露宴の事もあり抑え気味に食べておりましたが息子の太一や甥っ子の宏之、秀人や嫁、姪っ子の真紀など前菜から相当とばしているのを見て家内と小声で最後まではたどりつかないね、などとにやにやしてみていました。
案の定メインディッシュの頃は無理して食べている様でした。(笑)その晩はおとなしくホテルに戻り風呂に入って寝ましたが若者グループは深夜まで徘徊していた様です。
翌日の11時頃から披露宴は開始されました。宴は町の公民館の様な場所で行われ料理は前の日から仕込んでいたという出張料理ですが、食べた事のない様な珍しい物もあり、美味しく頂きました。招待客もたくさんの方々が出席しており3~400人は下らなかったと思います。
ただし10種類以上の立派な料理が大皿で出てきますのどのテーブルもいっぱい残っていました。もったいないな〜と思っているとビニール袋が配られるではないですか。そしてみな料理を持ち帰るのです。都会では許されない(食中毒等の関係との事でした。)様ですが田舎ではまだそういう習慣が残っているとの事です。そもそも台湾の結婚式というのは日本の様に厳粛な空気はなく、最後までおしゃべりと笑いに包まれていて涙を誘う挨拶といったものはありませんでした。私も日本から来た親族の代表として壇上で挨拶をいたしましたが、通訳の方の日本語が怪しかったので正しく伝わったかどうか心配です。
目的の結婚式は無事に終わり我々一向は翌日に親族に分かれを告げ新幹線で台北の桃園空港を旅立ちました。

 

 

台湾旅行記その9

 翌日、昨晩の帰り道で見かけたエステというか高級マッサージに出かけました。
5人の家族が店に出向いたのですが店の内装が立派で驚きました。
残念ながら店の名前は忘れましたが高尾のメイン通りですから車で走っていてもすぐに解ると思います。
備え付きの大理石の浴槽に足をつけ、まわりを見渡すと3人の術者しかいない事に気がつきました。
どうするのかなと考えているとフロントでマネージャーらしき女の人が早口でどこかに電話をしているのが目に入りました。
これって前にも経験した様な気がする。そうですエステサロンどうしのネットワークがあって助っ人がくるのです。
それぞれの店によって接客サービスの内容も違うでしょうし術式も若干の違いがでてくるのです。
予約制というのも確率されていない様で、高級感のある器なのにちょっととまどいました。
足がふやけそうになった頃助っ人が来て私の番になりました。
痛くしないでといっても通じない様なので「ノー イタイ」と言ったらオーケーという返事が帰って来ました。
足裏マッサージを行ってもらい約40分で日本円にして3000円でした。
高尾にしては高級な分たかかったのかな。ホテルに戻り荷物をまとめ、次の目的地「北港」に向けて出発しました。


台湾旅行記その8

 なんと私の弟の修宏の顔面が真っ青で額から(額が広いので頭かもしれません。)脂汗を垂れ流しているのです。まだほとんど食べていないので食中毒ではありません。ゴルフ場の帰り道にタクシーの中で「寒気がする」と言ってたので風邪か何かかなあと考えましたが本人がホテルに戻って暖かいおそばでも食べて休みたいというので弟夫婦はタクシーに乗り帰りました。そうです旗津は海底トンネルがあって陸路だと20分くらいで高尾市内に戻れるのです。という訳でかなりの料理がありましたが、現在日本歯科大学に在学中の33歳の大学生の秀人夫婦がペロッとたいらげて牡蠣をおかわりし、たのもしく感じました。私達熟年組はタクシーに乗りホテルに帰りましたが若者組は夜遊びに行った様です。

 
一番左側が弟です。

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